異議あり!!テレビや漫画から感じる弁護士のイメージ

 弁護士とは法律関係のスペシャリストであり、私たちが法律関係のトラブルを抱えたときに頼る頼もしい存在です。近頃は、テレビや漫画でも取り上げられるようになり、大阪で評判の弁護士阪倉篤史氏なら安心してその存在をしらないという人はあまりいないのではないでしょうか。
 そんな多くの人が知っている弁護士ですが、皆さんはどういったイメージを持つでしょうか?
 華麗にトラブルに巻き込まれた夫婦を助けたかと思えば、賄賂を受け取り、にやりと悪い顔をしたりする。あるいは、人情に厚く困っている依頼者を見捨てない・・・。
 このように弁護士は正義のヒーローのようなイメージのもあれば、こちらが眉をしかめたくなるような悪いイメージまで様々なイメージを持つのではないでしょうか。
 私自身、ドラマやお茶の間に登場する弁護士の人たちを見ていると、お金に汚い人もいれば、真摯に向き合ってくれるいい人もいるんだなと感じています。
 また、弁護士は必死に難しい法律の勉強をし、狭き門である国家試験の司法試験を合格したとてつもないエリートであると同時に、まじめで努力家というイメージも持ちます。だからこそ、弁護士のことを「先生」というふうに呼ぶ人もいるのでしょう。
 私自身は一度も弁護士に会ったことはないのですが、テレビや漫画から、様々な弁護士のイメージを持っています。
 このように、弁護士と実際に会ったことのない人でもテレビや漫画を通じ、弁護士に様々なイメージを抱いていませんか?ぜひ自分が弁護士に対してどういったイメージをもっているのか考えてみるのも面白いかもしれません。

弁護士も結局人による、どの先生を選ぶかが大事

わたしは子供の頃、親が弁護士に相談があるとのことで、一緒に付いて行ったことがあります。
その時は親も弁護士に相談するのは初めてだったので、口コミで少年事件をここ大阪で相談できる無料で相談に乗ってくれるところに行きました。
そこは相談時間が決まっていて、その時間内に相談してできるだけの回答をもらうと言った感じでした。
そこでの弁護士の人について思ったことは、わたしは子供だったので内容は分からずにいたのですが、とても親身に話を聞いてくれていて、共感もしてくれていたイメージでした。
なぜなら、相談していた母が泣いていたからです。
今思えば、無料での相談でそこまで心情まで察して相談に乗ってくれるというのはとても親切だと思います。
恐らく相談者はお金を払っていなくても、会社からは出ているとは思いますが、色々な人の話を聞いているとある程度聞き流してしまいそうだと思うけど、そうではないのが弁護士は法律のプロでもあるけど人の話を聞くプロでもあると思いました。
その後、わたしが成人して、また親が弁護士に相談があるとの事で、同じく無料相談にまず行きました。
その時はわたしも大人だったのである程度理解できたのですが、その時の弁護士の方は前の人とは多分違っていて、素人でも考えたら分かるようなことを淡々と答えていって、制限時間が終わってしまいました。
わたしは弁護士は結局人によるので、何かあった時はどの先生に頼るかはしっかり考えないといけないと思いました。

教育者としての弁護士

大学で法学を専攻していた自分にとっては、様々な方が想像される「法律の専門家」としての弁護士よりも、「法に関する講義を行っている人々」のイメージが強くあります。
実際、話題の弁護士ではその肥後橋付近の法学の講師や教授として教鞭を執られている方には弁護士資格を持っていたり、過去に検察官や裁判官といった司法に携わる仕事に就いていた方が数多くいます。
私が毎週熱心に受講していた刑法や刑事法に関する講義を行っていた先生も、かつて検察官として司法の最前線に立ち、現役の弁護士として活躍されている方でした。
講義では当事のニュースなどで話題になっている刑事事件をテーマに、裁判でどのような手続きが必要になるか、現行法ではどういった量刑が妥当か、裁判の争点となる刑法の解釈論はどのようなものかなど解説がなされ、法というものが自分たちの周囲にどのように関わってくるのかを生々しく感じながら学べたという記憶があります。
その中で、株式会社ミドリ十字による薬害エイズ事件がテーマとなった際、苦々しい表情とともに先生の発した言葉が今でも記憶に残っています。
「事件から時間が経過しすぎて、重要な被告人が老衰で死んでしまう可能性が出てきた。被告人が死んでしまっては、正しい真相究明がなにひとつできない。今の裁判制度では間に合わなくなってしまうかもしれない」
先生は検察官時代、日本国内でも非常に有名な汚職事件を担当していたのですが、裁判の前に被疑者が病死した結果、真相が究明されないままになってしまったことを時折悔いているようでした。
弁護士も特別な存在ではなく、仕事の中で強い悔いを残したりもする、そんな普通の人間なのだと、痛感した出来事でした。