教育者としての弁護士

大学で法学を専攻していた自分にとっては、様々な方が想像される「法律の専門家」としての弁護士よりも、「法に関する講義を行っている人々」のイメージが強くあります。
実際、話題の弁護士ではその肥後橋付近の法学の講師や教授として教鞭を執られている方には弁護士資格を持っていたり、過去に検察官や裁判官といった司法に携わる仕事に就いていた方が数多くいます。
私が毎週熱心に受講していた刑法や刑事法に関する講義を行っていた先生も、かつて検察官として司法の最前線に立ち、現役の弁護士として活躍されている方でした。
講義では当事のニュースなどで話題になっている刑事事件をテーマに、裁判でどのような手続きが必要になるか、現行法ではどういった量刑が妥当か、裁判の争点となる刑法の解釈論はどのようなものかなど解説がなされ、法というものが自分たちの周囲にどのように関わってくるのかを生々しく感じながら学べたという記憶があります。
その中で、株式会社ミドリ十字による薬害エイズ事件がテーマとなった際、苦々しい表情とともに先生の発した言葉が今でも記憶に残っています。
「事件から時間が経過しすぎて、重要な被告人が老衰で死んでしまう可能性が出てきた。被告人が死んでしまっては、正しい真相究明がなにひとつできない。今の裁判制度では間に合わなくなってしまうかもしれない」
先生は検察官時代、日本国内でも非常に有名な汚職事件を担当していたのですが、裁判の前に被疑者が病死した結果、真相が究明されないままになってしまったことを時折悔いているようでした。
弁護士も特別な存在ではなく、仕事の中で強い悔いを残したりもする、そんな普通の人間なのだと、痛感した出来事でした。